イタリア音楽院の学習内容

日本の音大で取得した単位がイタリアでは認められるようになっており、大学の先輩は認められたものの私は認めてもらえないというトラブルがあり、イタリア人と同じように全科目を履修し、単位を取得しました。

音楽史も、音楽理論も、対位法も、すべてで、それは厳しい修羅の道でした。

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目次

イタリア音楽院の学習内容

イタリア国立チェゼーナ音楽院とローマ市のサンタ・チェチーリア国立アカデミアのレッスン以外の授業について書いてみます。

音楽史

音楽史は、音楽院の入試の科目になっているくらいなので、基本的に高校生で終わらせています。そのため入学後は、さらに深く掘り下げていく内容になっています。

先生により様々ですが、私の体験したところは、「交響曲を軸に音楽史を見ていく」という流れでした。

ピアノ科、器楽科、声楽科関係ありません。1年目にマーラー、2年目はシベリウス、3年目はチャイコフスキーとブルックナーを全曲扱い、その楽曲分析をしながら、哲学や世界史、宗教史など、ありとあらゆるところに話が発展しながら、最終的に目の前のオーケストラスコアに戻ってきます。

先生はイタリア語での著書も多く、今でこそ本当に興味深い内容なのですが、当時、語学もまともに勉強してきていない留学1年生には、すべてを理解するなど到底無理な話で、最初から進級そして卒業の道は閉ざされていました。

そこで私は、若干卑怯な手にでます。「ぶりっこ」です。

基本、授業は休まない。一番前に座る。何を言っているのか意味が分からないけれど、とりあえずレッスンは録音しておく(先生に見えるように)。どんな手を使っても、気に入られるしかないのです。最終的には、先生と2人でコンサートに出かけるくらいの仲にまで、信頼関係を構築しました。

試験は、ペーパーではなく、口頭試問です。当然ですが、しゃべれません。そこで私は、しゃべることになるであろう原稿をイタリア語で書き、先生に添削をお願いしました。今考えると、時制も何もかも無茶苦茶です。そうして、「私が理解しているのは、ここからここまでですよ」というのを暗に知らしめ、試験当日はその内容の中からどうにかしゃべり、最終的に「Ryoはがんばってるからいいヨ」と言わせました。

これが音楽院でしぶとく生きる道です。愛嬌で乗り越えるというのは、必ずしもいい手段とは言えませんし、語学等は、本来は出発前に日本で準備しておくべきです。決しておすすめはしません。

和声学

音楽史に続いて、とくに苦労をしたのは、和声学です。日本では高校生から勉強を始め、音大でも3年間授業を取って勉強したので、そこそこ自信はありました。しかし、その自信は、初日から泡と消えました。

その理由は、

「日本と海外で採用しているメソッドがそもそも違う」

です。

日本ではどこの音大でもほぼ共通して、いわゆる「芸大和声」と呼ばれる赤い1巻、黄色い2巻、緑の3巻が使われています。入試の時からこれを勉強して、入学後もこれで勉強します。この本を否定するつもりはありませんが、こちらは、「日本人によって書かれた、日本人のための教科書」で、表記の仕方や習得の順番などが西洋とは完全に違います。

一方でヨーロッパでは、バロック以前の楽曲でみられる「数字付き通奏低音」の表記を用いて和声学を学びます。本来こちらが元祖です。

そのため、同じことを表していても表記が違うので、まるで新しい言語で学びなおしているような感覚で、日本で習った知識はいったん忘れなければなりませんでした。

また、日本の教科書では3巻以降(作曲科でないとほとんどやらないであろう)ⅢやⅦの和音は、西洋では1年生の序盤から出てきます。カデンツや定型の種類も違います。1年生の終盤ではすでに、ソプラノ課題を解き、学期末の試験では、バッハのコラールを模した形での出題の仕方をされます。

授業のスピードも速く、日本のメソッドよりずっと実践的でした。日本の教科書も表記を統一してくれればいいのにと思います。日本の音大を終えてから留学する場合は、このあたりも踏まえて心の準備をしておくといいでしょう。

その他

音楽院の授業は純粋に音楽の専門科目のみで、日本の大学のように一般教養科目はほとんどありません。最近は外国人向けにイタリア語の授業があるようですが、私の時はまだありませんでした。

音楽院の卒業にはB1以上の語学の証明が必要で、私の場合はボローニャ大学のチェゼーナキャンパスの外国人クラスに入れられ、1年半かけてA1→A2→B1と取得しました。卒業時にこの証明がないと卒業試験は受けられません。こちらには週2で通いました。

スケジュール(音楽院の場合)

前述のように、単位交換がきかず、イタリア人と同じように全科目の単位を履修したので、そのスケジュールは結構忙しいものでした。

実技レッスンも含め、すべての授業のスケジュールは、先生との話し合いで決まります。日本の学校のように時間割はないので、年度のはじめにすべての授業の先生に会いに行き、自分だけの時間割を組み立てます。先生の都合で曜日も時間も指定されている場合は仕方がないですが、2~3選択肢がある場合は、私の場合は授業が1つの曜日に集中しないように、できるだけ分散させました。

その結果、1年目のスケジュールは、月曜日から土曜日まで毎日、多くても1日2つまでになるようにしました。音楽史も和声学も対位法も、事前の予習や課題をやらなければならず、1日に授業が集中していたら大変だったと思います。もちろん、ピアノの練習だってあります。そうして、生活のなかにできるだけゆとりができるように工夫しました。

スケジュール(サンタ・チェチーリア国立アカデミアの場合)

この学校は学科目がなく、純粋に実技レッスンのみでしたので、ただただピアノに没頭することができました。

学校はローマのど真ん中にありますが、先生はロンバルディア州のマントヴァに住んでいます。年度のはじめに、先生がローマに来る年間予定表が発表され(たびたび変更されますが)、学生もそれに応じてローマに来る計画を立てます。先生は3~4日ローマに滞在し、そこで集中的にレッスンが行われます。これを月に1~2回ペースで行われます。

レッスンが入っている前日か前々日に、学生はローマに集まり合わせをし、レッスンへと向かいます。わずか1~2回の合わせでも、ほぼ実際のテンポで弾けるようには全員なっているので、初めてレッスンに持っていくときにはすでに、曲の仕上げの状態です。音楽院の時の100倍速くらいの感覚です。

毎年3~4つの室内楽グループを持っていても、純粋にレッスンと合わせしか入らないので、その点だけを考えたら、学校のスケジュールとしてはとてもゆとりがありました。そのため、私も母校チェゼーナ音楽院で非常勤講師ができましたし、ほかの学生も国内外で演奏活動やコンクール受験などできました。国内だとイーモラのアカデミアや、国外だとザルツブルクやマンハイム、ハノーファーの音楽大学に籍を置きながらローマに通う学生も多くいました。

さて、このローマのアカデミアに在学中、ほかとは違って特に素晴らしかったことがありました。

それは、Parco della musicaで行われるコンサートが、在学生はとても破格の値段で鑑賞できるということでした。

学校が持つオーケストラ「オーケストラ・サンタ・チェチーリア」は、アントニオ・パッパーノが常任指揮者を務める、現在のイタリアでも特に評価の高いオーケストラで、世界で活躍する様々な演奏家が招かれて演奏に来ていました。

ピアニストだと、マルタ・アルゲリッチをはじめ、ユジャ・ワン、ダニール・トリフォノフ、グレゴリー・ソコロフ、ヴァイオリンだとアウグスティン・ハーデリッヒ、レオニーダス・カヴァコス、指揮者だとダニエーレ・ガッティ、ダニエル・ハーディング、キリル・ペトレンコなど、まさに世界の第一線で活躍する人たちの演奏をわずか2.5ユーロという、まるでグラスワイン1杯のような値段で鑑賞することができました。

日本人だとたぶん唯一だと思いますが、指揮者の山田和樹さんがこの舞台に立っています。もちろん、学生席なのでホールの端のほうだったり、極端に舞台に近かったりしましたが、オペラやバレエでない限りそこは問題ではありませんでした。このような世界的な演奏家の演奏を破格の値段で聴けるというのは、留学のだいご味だといえます。私はこれが楽しみで、レッスンの前後にわざと滞在日数を1日多くとって、ローマに滞在することもありました。

さて、年度末の試演会や実技試験は、私たち在学生もここParco della musicaで、演奏会形式で行われ、実際にお客さんも入ります。「このピアノは先週アルゲリッチが弾いてたんだなぁ」などと、なんだかとても感慨深い思いでした。

私たちも、楽屋や練習室、また出演者専用のBarなどを使うことができ、一流の演奏家たちしか足を踏み入れないエリアで、同じようにエスプレッソを飲んでいたりするのは、何にも代えがたい思い出で、時々公演直前の指揮者、アントニオ・パッパーノを目撃したりしました。

その廊下には、これまで出演した演奏家たちの写真がサイン入りでずらっと飾られていて、そこを通って舞台にたどり着くというのは、歩みを進めるうちに若い私は、緊張のエレベーターがどんどん上がってゆくのでした。

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