2024年10月20日に東京・西国分寺市の国分寺スタジオ花音で、ソプラノ歌手の本間桜子さんとコラボして、日本歌曲のコンサートを開催しますが、そのことに関連して、日本人音楽家に求められるものについて書きたいと思います。
イタリア人の日本へのリスペクト
なぜ、イタリアでピアノ留学を10年もした私が、今回このオファーを受けたのか?
海外生活あるあるですが、イタリア人は日本人に対して、また日本文化に対して相当の興味・関心やリスペクトがあります。
「君は中国人?それとも韓国人?」と聞かれることが本当に多いのですが、「日本人だ」と答えると、ほぼほぼポジティブな反応が返ってきます。日本人は相対的に少ないので結構驚かれます。
日本に帰る便で、ミラノの空港のセキュリティチェックを通る時、そこの職員が目を輝かせながら、「私の夢は、日本に行くことなんだ!」と話しかけてくることもありました。
思えば2011年の東日本大震災の時です。テレビで大災害の様子が映し出されたのですが、同時に日本人の被災者の方の行動がかなり話題になりました。
「あんな礼儀正しい行動を、被災した人ができるものではない、イタリアだったら、かなりのカオスだっただろう」
そんなことが会話によく上がったものです。それから、日本人へのリスペクトがかなり広がったようにも感じますし、イタリア人も他者へのリスペクトが本当に深いなと感じることが多かったです。もともと深かったのかもしれませんが。
そんな日本への関心は長年続いていますが、日本の観光地を歩いていると、イタリア語をよく耳にするほどです。
日本人に求められること
イタリアでは、日本人であることをとにかくよく意識されます。
興味の塊って感じですし、自分たちよりも細やかな心遣いがある、思慮深い、そんなイメージで接してくる人も多いです。
日本の文化、歴史、食べ物、とにかく色々と聞かれます。
「干し柿っていうものがあるんだって?うちでもやってみたいけど、どうやったらいい?」なんて質問も。
イタリアでは柿のことを 「Caco(カーコ)」とか「Cachi(カーキ)」と言い、甘柿はよく見られます。熟しきったのをスプーンで食べるのがイタリア流。
おっと話がそれました。
日本の歴史、宗教、音楽、日本人として知っていて当たり前、日本人の顔であるような気分になることは多くありました。
ヨーロッパ6−7カ国で演奏をしたのですが、その時も同じです。おそらく言葉ができればできるほど、そうしたことは求められるところだと気づくのだと思います。
日本の音楽、文化を自覚したきっかけ
そこで、より自分の国の文化を意識した経験がありました。
それはチェゼーナ音楽院の大学院の修士論文で「蝶々夫人」をテーマに扱った時のことです。
第一幕の終わりと第二幕の最初で、イザナギ、イザナミ、天照大神、猿田彦命が登場するのですが、その神様がどういうお方なのかをイタリア語で書く必要があり、日本神話や天皇の歴史、建国の歴史などを一通りイタリアにいながら勉強することになりました。
プッチーニは日清戦争があった19世紀末の日本を取材し、当時の日本で流行っていた歌などを9曲ほどそのまま引用しています。さくらさくら、君が代、お江戸日本橋(東京メトロで使われていますね)などです。
プッチーニが作曲した日本風のメロディもあり、独特の趣を感じます。
日本の文化の特徴や良さを改めて認識するきっかけとなりました。
日本の歌の特徴とは?
日本における西洋音楽の始まりは、明治時代です。
滝廉太郎、山田耕作がとても有名ですね。
その歌には、日本の原風景が眠っています。
例えば、おぼろ月夜(作詞:高野辰之 作曲:岡野貞一)ですが、これは高野辰之が見た長野県飯山市の菜の花畑がモチーフになっていると言われています。
当時の風景の情感が曲の中に息づいていて、演奏されるたびにそれが聞く人の心の中に何か特別な日本の心情やイメージを沸き起こさせる。まるでその景色を見ているような感覚になるかもしれないし、子供の頃、その人がいつか見た景色の情感を沸き起こさせるのかもしれない。
日本語の不思議な感性
日本語は不思議な言語です。言葉でありながらノンバーバル(言葉によらないコミュニケーション)な、含みがあります。見えないもの、複合的な感性を伝達するという特徴があります。ノンバーバルとは、表情、うなずきなどのジェスチャー、沈黙、ペースの速い遅い、雰囲気、周波数など言葉に頼らない色々な伝達方法を言います。
接客やカウンセリングで、ちょっと興奮気味に話す人の速度に合わせつつ、それよりもちょっとゆっくりな速度で話し、徐々にペースをゆっくりにして落ち着いた空気にしていく技法があったりします(ペーシング)。
日本の歌は、歌詞がすべてを語りません。おぼろ月夜の歌詞を見てみましょう。
菜の花畠に 入日薄れ
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて にほひ淡し
夕方の菜の花畑で、日の光がまだ残っていて、空を見上げると霞んだ月があり、あたり一帯の色が淡く美しく佇んでいる情景だろうと思われます。おそらく、金色の光から段々と淡く、青く、暗くなっていく美しい色の変化、菜の花の黄色も色々な表情を見せたことでしょう。
画像にはできない複合的な要素が絡み合う特別なひとときでしょうが、まだ夕日が金色のあわーい感じを想像してみました。ここから青くなっていく変化、想像するほどに・・なんと美しい!なんて想像が、人それぞれできるわけです。
なんていうふうに考えたら、この歌詞、このメロディ、頭の中でイメージを生み出す創作の種のようで、現代アートのような面白さがあるような・・
「にほ日」「匂う」という言葉はやまとことばとしては特別な意味のある言葉です。
小林秀雄の『学生との対話』国民文化研究会・新潮社編 』によると、本居宣長「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花(やまざくらばな)」という歌の解説があります。
万葉集に「草枕たび行く人も行き触れば匂ひぬべくも咲ける萩かも」という歌があり、旅行く人が旅寝をすると萩の色が袖に染まる、そのことを「萩が匂う」というそうです。
朝日の中で山桜のなんとも言えない趣のある美しさ、色合いが輝いている情景を表すそうですが、匂うということばには、色や情感、触覚、その時だけ咲き誇る山桜の儚くも心深くに染み渡るような生命力の輝きなど複合的な感覚が眠っているような、日本人の感性を通して見る時、確かにそのように感じ入るものがあります。
歌の伴奏ではなく、歌を走らせる騎手としてのピアノ
菜の花畠に 入日薄れ
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて にほひ淡し
ピアニストとして、例えばこの「にほひ淡し」という情景をどのような音で表現するでしょうか?
それに形を与える試みが日本の歌を演奏する、ということだと思っています。
その時にしか出ない音。30年後にしか出せない音があるでしょう。
前述のように、日本の多くの歌は歌詞ですべてを語り切ることもなく、余情を漂わせつつ、ピアノだけの時間がやってきます。音楽家として、日本人として心の情景を音で描く時間です。
多くの日本歌曲において、ピアニストは歌い手と同じ熱量で、情景を描く役割を担います。
伴奏、という役割ではなく、主役と主役、あるいは歌という名馬を走らせる騎手も名騎手である必要がある、という感じです。
もし伴奏だという意識で日本歌曲のピアノを担当したならば、タイタニックのように沈没してしまうことでしょう。
日本人だから、日本歌曲を演奏できて当然でしょ?とヨーロッパ人が思っているかもしれませんが、それはそれは難しい課題がそこにはあるわけです。
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